(1)入院まで
私は生まれてこの方61年間、入院というものを体験したことがない。
瘦せっぽだった少年時代。恐らくクラスで一番「腕の細い」少年だった。
運動は【中庸】。ずば抜けてはいないが、かといって全くダメでもなく、強いて言うなら「平均より上ではある」程度。
だが、健康面では恵まれていた。小学校1年の2学期から中学校3年生の卒業まで、一度も学校を休んだことが無かった。
高校以降も体調不良で学校や仕事を休むというのは、ほとんどなかった。
大人になってもそれは続いた。
たまにインフルエンザやマイコプラズマ、病原性大腸菌O-1(O-157ではない)に罹患し、1週間ほど出勤停止になることはあっても、入院するほど酷いことにはなっていない。
新型コロナにもかかったが、病名が恥ずかしくなるほど軽症で、活動できずとても悲しい思いをしていたのを記憶している。
怪我もそうだ。
小中学校時代にサッカーをやっていたが、大きな怪我どころか、捻挫をしたこともなかった。
そして、61年間、一度も骨折を経験していないのだ。
それがだ。
突然の大病。
大病と名乗るのはちょっと大袈裟かもしれないほど軽くすんでいるが、実際にはどえらいたいへんな大病だ
「脳出血」。
朝起きて、携帯をいじくって、さて起きようかと上体を上げたとき突然強烈なめまいに襲われた。
瞬間的に「やばい」と思った。左半身が全く言うことを利かない。
急いでリビングに行ったが、猟銃で撃たれたインパラのように斜めに倒れながら歩き、最後はほぼ這うようにたどり着いた。
間髪を入れずに119番通報した。
到着に5分ほどかかるという。
この間にボロボロの「寝巻」を着替え、バッグ、財布、マイナンバーカード、鍵を準備して救急車の到着を待つ。
そして、待っている間に妻に電話をし、状況を伝えた。
なんとなく気のない返事に聞こえたが、事の深刻さを理解していないようでもあった。
電話に出た救急隊員から、「玄関のカギを開けておけ」と言われた。
這って玄関まで行く。幸いにも妻は鍵をかけないでしごとに行ったようだった。
とりあえず一安心。安堵した途端に私自身、事の重大さに気づき始めた。
「なにかはわからないが、脳の異常だろう。左側がまったく動かない。感覚も全くない。」
こういう時は「人を待つ」のがとても長く感じてしまう。
自分の感覚では10分~15分、実際には3~4分で救急隊はやってきた。
救急車で病院へ。
「救急といえば」の徳洲会病院だ。
お客様の医師や、友人の救急隊員からの評判を聞いていたので、不安がよぎる。
が、それも運命。
早速CTに入った。
意外とこのころにはだいぶ落ち着きを取り戻していたかと思う。
その後医師が来て「脳出血」だと聞かされる。
比較的軽度ではあるが、後遺症は残ります、と断言された。
そうなのか、この痺れはずっと続くのかと思ったが、「仕事はできるのか?」とか、「この先どうなるのか?」という不安はあまり無かった。というよりも、何も感じられないくらい頭が真っ白だった
つづく