第12話「春の訪れと新作“Wallace Line”」
桜がちらほらと咲き始め、街は少しずつ色づいてきた。IPA本舗の店内も、春の訪れを祝うかのように、賑やかな雰囲気に包まれている。今日は新作ビール「Wallace Line」の発売日だ。
「ABV 7.7%のアメリカンIPAですよね?どんな感じなんですか?」と、カウンターの向こうから町野が興味津々に尋ねる。彼は数週間前に仙台に転勤してきたばかりで、IPA本舗の雰囲気がすっかり気に入っているようだ。
青山はグラスを磨きながら微笑む。「ちょっとクセになる感じですよ。複雑なホップの香りに、柑橘や松のニュアンス、後からじわっとくる苦味が心地よくて…クセになる人、続出すると思いますよ。」
「へぇ、楽しみだな!」町野が嬉しそうに頷く。
カウンターの一角では、佐々木夫妻と涼子が並んで座り、さっそく「Wallace Line」を楽しんでいる。佐々木はじっくりと香りを確かめながら、りさと顔を見合わせる。「うん、これは面白いな。香りが複雑で、飲むたびに違う表情を見せる感じ。」
「ね、すごく奥行きがある味。」涼子もグラスをくるくると回しながら、楽しそうに話している。
隼人と沖は店の奥のテーブル席で、南田とその彼女のかなえ、そしてちょっと個性的な中年女性・北村美智子と盛り上がっていた。美智子は派手なスカーフを首に巻き、大胆な口紅が印象的な女性だ。IPAに対する知識はなかなかのもので、いつも独特なコメントを残していく。
「このビール、例えるなら…『香りの万里の長城』ね!」美智子が大胆に言い放つ。
「いや、それどういうことですか?」南田が笑いながら突っ込むと、彼女は優雅に手を振った。「つまり、層があってね、飲むたびに越えていく感じよ。奥が深いのよ、青山くんのビールは。」
その言葉に、青山は苦笑しながらも「そんな風に言ってもらえると嬉しいですね。」と返す。
そこへ、店のドアが開き、一瞬店内が静まった。スーツ姿の佐川が現れ、青山に向かって軽く手を挙げる。
「お久しぶりです、青山さん。」
「佐川さん…。」青山は驚いた表情を見せるが、すぐに気を取り直し「どうぞ、座ってください。」と促す。
佐川は静かに席に着き、カバンから厚めの資料を取り出した。「例の話ですが…具体的なプランを持ってきました。」
その言葉に、周囲の常連客たちが思わず耳を傾ける。
「醸造所の話、まだ続いてたんだ?」佐々木が興味津々に尋ねる。
👿佐々木と佐川は面識ないはずなのに、何故すぐわかった??
青山はため息混じりに答える。「まぁ、佐川さんが熱心で…でも、俺はまだその気になれなくて。」
佐川は微笑みながら言う。「お話を聞くだけでも。規模、設備、運営の仕方…仙台でやる方向での可能性を模索しました。東京でなくても、十分成功するプランを用意しています。」
青山はグラスを磨きながら、少し考え込む。「仙台で…?」
「ええ、あなたのビールはもう全国に知れ渡っています。この地を拠点にすれば、地域の特色を活かしながら、より本格的な展開が可能です。」佐川は真剣な眼差しで続けた。「場所もいくつか候補を出しました。資金面も問題ありません。」
👿私のビール、そんなに広まってないのよ〜(笑)
隼人が驚いた顔で口を挟む。「本気じゃないですか、佐川さん。」
「もちろんです。」佐川は静かに微笑んだ。「私たちは、本気で青山さんのビールに未来を見ているんです。」
店内が少し静まり返る中、青山はグラスの中の「Wallace Line」を見つめ、複雑な表情を浮かべていた。
常連たちの視線が彼に集まる。彼がこの話をどう受け止めるのか、誰もが興味津々だった。
やがて青山はゆっくりと口を開く。「…とりあえず、飲みませんか?このビールがどういうものか、味わってから考えても遅くはないでしょう。」
佐川は微笑んで頷き、青山が注いだ「Wallace Line」を手に取る。
「では、いただきます。」
その瞬間、再び店内にいつもの賑やかな空気が戻った。
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佐川はグラスを手に取り、「Wallace Line」の香りを確かめる。グラスを軽く回しながら一口含むと、その瞬間、目を見開いた。
「……これだ!!」
思わず声を上げる佐川に、店内の常連たちが驚いたように視線を向ける。
「青山さん、これは本当にすごい。香りの奥行き、苦味のバランス、そして後味のキレ…まさに唯一無二のIPAですよ。こんなビール、日本には存在しない。」
佐川の熱っぽい言葉とは対照的に、青山は冷静そのものだった。
「ありがとうございます。でも、うちのビールはいつもこのスタンスですよ。」
「ええ、わかっています。でも、今日の『Wallace Line』は別格です。これをもっと多くの人に飲んでもらうべきです。」佐川は真剣な表情で青山を見つめた。
そんなやり取りの最中、店のドアが開いた。
「仕事で遅くなっちゃった。」
柔らかな声が店内に響く。裕子だった。スーツ姿のまま、軽く息を整えながら店内を見渡す。
👿ん?スーパーの仕事、スーツで行く???
「お疲れさま。」青山が声をかけると、裕子は微笑みながらカウンターに歩み寄る。
裕子の夫が東京へ単身赴任してから、すでに1か月が過ぎた。最初のうちは息子との二人暮らしに戸惑っていたようだが、最近ようやく生活のリズムが整ってきたらしい。
「息子もやっと新しい生活に慣れてきたみたい。最初はどうなるかと思ったけど、なんとかやってるよ。」裕子はグラスを手に取り、青山が注いだ「Wallace Line」を一口飲む。「ん〜、これ最高!」
その時、裕子の目がカウンターの端に座る佐川に向いた。彼女の表情が一瞬驚きに変わる。
「…佐川くん?」
佐川は裕子の顔を見て、一瞬戸惑ったようだが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ええ? 裕子さん? 久しぶりですね。」
周囲がざわめく。どうやら二人は知り合いのようだ。
「まさかこんなところで会うなんて。」裕子は驚きながらも嬉しそうな様子だ。「最後に会ったのは…あれ、大学の同窓会以来?」
「そうですね。確か、もう5年くらい前になるでしょうか。」
佐々木夫妻や涼子が興味津々に二人の様子を見守る中、裕子は佐川の名刺を見て目を丸くする。
「へぇ…今はこんな大手のファンドにいるんだ。」
「ええ、色々あって。実は今、青山さんとちょっとしたビジネスの話をしているところなんですよ。」
裕子は驚きながら青山の方を見た。「へぇ、そうなんだ。」
青山は苦笑しながらグラスを磨き、「まぁ、話を聞いてるだけですよ」とさらりと流した。
店内には、不思議な縁がつなぐ新たな空気が流れ始めていた。
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裕子と佐川の再会に、店内の常連たちはどこか興味津々な様子で二人の会話を見守っていた。
「本当に偶然ね。」裕子が嬉しそうに笑う。「佐川くん、相変わらず忙しそうね。」
佐川は軽く肩をすくめ、「まぁ、色々と。でもこうして青山さんのビールに出会えてよかったですよ。本当に素晴らしいです。」
「Wallace Line、気に入った?」裕子が尋ねると、佐川は目を輝かせながら頷いた。
「ええ。むしろ、こういうビールがもっと広がらないのが不思議なくらいです。」
「だから醸造所の話を持ちかけてるんでしょ?」と、涼子が横から口を挟む。「でも青山さん、いつも通り乗り気じゃないみたいね。」
青山は淡々と答える。「俺はただ、いいビールを作って、それを飲んでもらえればそれでいいんです。」
佐々木が苦笑しながら「相変わらず頑固だなぁ」と言うと、店内に笑いが広がった。
一方、南田の彼女は裕子にそっと近づき、「ご主人、東京に行ってからどう?」と声をかけた。
裕子はグラスを片手に、ふっと息をつく。「最初はね、結構大変だったけど…なんとか慣れてきたかな。息子も最初は反対してたけど、今は少しずつ落ち着いてきてるみたい。」
👿あれ?息子は東京行きを反対してたんじゃ?
「母は強し、だね。」美智子が得意げに言い、鮮やかなスカーフを直しながら「ところで裕子ちゃん、あなたもそろそろ恋のチャンスを考えてみたら?」と大胆な発言を投げかける。
👿不倫かよ(笑)
「ちょ、ちょっと美智子さん!」裕子は慌てた様子で手を振るが、店内はまた笑いに包まれる。
👿なんの笑い??
そんな和やかな空気の中、佐川は再び青山に向き直った。
👿“不倫の勧め”が和やかか??
「とにかく、もう少しだけ考えてみてもらえませんか?」
青山は静かに「まぁ、もう少し考えてみますよ」と答えるが、その表情はまだ曖昧だ。
そんな青山の態度を見て、沖が冗談混じりに言う。「ま、こうやって飲みながら話すのが一番いいさ。ビールは飲まなきゃ始まらないしね。」
佐川も苦笑しながらグラスを持ち上げた。「じゃあ、もう一杯いただきましょうか。」
グラスがぶつかり、春の夜はまだまだ賑やかに続いていくのだった。
【登場人物】
青山・・・IPA本舗店主
町野・・・客/最近仙台に転勤になった会社員
柿田涼子・・・常連客/技術職のリケジョで1児の母
日下隼人・・・常連客/医師
菅原裕子・・・常連客/スーパー店員
佐々木俊也・・・常連客/ビルオーナー(りさの夫)
佐々木りさ・・・常連客/花屋経営者(俊也の妻)
南田・・・常連客/一流企業社員
かなえ・・・客/南田の彼女
沖和幸・・・常連客/IT企業社員
佐川・・・投資家
※この物語はフィクションです。実際のIPA本舗とは一切関係がありません。
続きはまた今度