翌朝。
青山は約束の時間より少し早めに店へと足を運んだ。まだ静まり返る街並みを歩きながら、昨夜の電話の内容が頭の中で繰り返される。あの投資話がどこまで本気なのか、どこか現実味を感じられずにいた。
店の前に着くと、入り口付近に一人の男が立っていた。スーツに身を包み、どこか場違いな雰囲気を漂わせている。
青山はその男に声をかけた。
「…佐川さん、ですか?」
男は穏やかに微笑んでうなずいた。
「ええ、佐川です。お時間いただき、ありがとうございます。」
青山は軽く会釈しながら、鍵を取り出して店のドアを開けた。
「まあ、中へどうぞ。まだ片付いてませんが。」
「失礼します。」
佐川は店内に一歩踏み入れると、ゆっくりと周囲を見回した。飾り気のないシンプルな内装、けれども壁に並ぶビールボトルやグラスが、この場所の個性を際立たせている。
カウンター席に向かい合って腰を下ろすと、佐川は内ポケットから名刺を取り出し、丁寧に差し出した。
「改めまして、私はこちらの日本総合ファンドでエグゼクティブマネージャーをしております、佐川誠と申します。」
青山は名刺を受け取り、その社名に視線を落とした。誰もが耳にしたことのある、国内最大手の投資ファンドだ。
👿“誰もが耳にしたことがあるファンド”なんてあるのか??
「…随分と大きなところにお勤めなんですね。」
「いえいえ。私個人の興味もありましてね。青山さんの作るビールは、これまで日本にはなかった新しい価値がある。これからのクラフトビール市場を大きく変える可能性があると感じています。」
佐川はそう言いながら、真剣な眼差しで青山を見つめた。
「具体的には、1万リットル規模の本格的な醸造所を作りませんか? チャレンジングではありますが、今の青山さんのビールなら十分に成功する可能性があります。」
👿1万リットルって正気か?(笑)どこで売るのよ〜(笑) しかもこの時点で「クラフト」の定義を超えてるよ〜(笑)
青山は静かに息を吐き、カウンター越しに佐川を見つめ返した。
「…ありがたいお話ですが、俺は醸造家じゃありません。レシピを考えたり、方向性を決めたりはしますが、実際に作っているのは協力してくれているブルワリーの方々です。1万リットルなんて規模、現実的じゃないですよ。」
佐川は微かに口元を緩めた。
「その点は心配ありません。醸造家は、私の方で集めます。青山さんには、これまで通りビールのコンセプトやレシピの開発に集中していただきたいんです。」
👿君の集めた醸造家を青山が気にいるとは思えませんが、大丈夫?相当なスキルがないと、一緒にはやらないと思うよ〜
「つまり、プロデューサー的な立場で関わってほしいと?」
「ええ、そうです。クラフトビールの情熱と市場の可能性を結びつけるのは、まさに青山さんのような方だと思っています。」
青山は無言でカウンターに手を置いたまま、ふっと視線を落とした。大規模な醸造所…。確かに、今の小規模な環境では届けられない層に自分のビールが届くかもしれない。だが、同時に規模が大きくなれば、コントロールが難しくなる。
「…正直、急に話が大きすぎて、今はすぐに返事はできません。」
「もちろんです。急ぐつもりはありません。ただ、可能性の話をしたかったんです。」
👿「可能性」、ないんじゃない? 申し訳ないけど(笑)。Chikyu BPのビールは決して『万人受け』はしませんから。
佐川は穏やかに微笑みながら、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。
「一度、真剣に考えてみてください。地球のビールが、もっと多くの人に届く未来を。」
青山は黙ってうなずき、ふとカウンターに並んだグラスに目をやった。
(…どうする、俺。)
静寂の中、店内にはわずかに朝の日差しが差し込んでいた。
⭐️
佐川はふと周囲を見渡しながら、柔らかな笑みを浮かべて青山に問いかけた。
「ところで、青山さんのビールを…ぜひ飲ませていただけませんか?」
👿え?飲んだから来てるんじゃないの??
青山は少し驚いたように目を細めた。
「ビールがお好きなんですか?」
👿この質問いる?
青山は少し考えた後、カウンターの奥に目を向けた。タップに繋がっているラインナップが頭に浮かぶ。
「ええ、特にIPAなら何でも。クセの強いのも大歓迎です。」
「そうですね…。ちょうど面白いのが3種類あります。」
そう言いながら青山は小さめのテイスティンググラスを3つ取り出し、静かにビールを注ぎ始めた。
「これがChallenger Deep(チャレンジャー・ディープ)。15.5%のQuintuple IPAです。ダブルマッシュ製法で造った、うちでも最も重たいビールですね。」
深い琥珀色の液体がグラスに注がれると、濃厚なホップの香りがふわりと立ち上る。
「次はPorcupine Seabight(ポーキュパイン・シーバイト)。これはImperial Red IPAで、しっかりとしたモルトのコクとホップの苦味が特徴です。」
👿コクってな〜に??コクってな〜に??ねぇ、コクって、コクってな〜に??(←低燃費ハイジ風に読んでね)
赤みがかった美しい液色がグラスに満たされる。
「最後にMarwarid Canal(マルワリッド・キャナル)。これはImperial Black IPA。ローストモルトの香ばしさと、ホップの苦味が絶妙に絡み合ってます。」
👿正確には「マルワリード・カナル」です。
漆黒の液体がグラスに滑らかに流れ込み、艶やかな泡が立つ。
青山は3つのグラスをカウンターに並べた。
「どれもクセは強いですけど、うちのビールの個性がよく出てると思いますよ。」
佐川は興味津々にグラスを手に取り、まずはChallenger Deepを口に運んだ。一口含んだ瞬間、目を見開く。
「……これは、凄いですね。**15.5%**とは思えないほど滑らかで、ホップの鮮烈さと甘みが見事に調和している。」
次にPorcupine Seabightを口に含む。深みのあるモルトの甘さとホップの苦みが重なり合い、思わず小さく頷いた。
「これも素晴らしい…。IPAの概念が広がる味わいです。」
最後にMarwarid Canalを静かに飲む。ローストの香ばしさとホップの余韻が広がり、しばらく黙って味わっていた佐川は、ゆっくりと息を吐いた。
「……やはり、青山さんのビールは日本のビールを変える価値がある。」
佐川は確信を持ったようにそう言い切った。
👿わかってんじゃねえか!ただな、万人には受けないんだよ(笑)
しかし、青山はグラスを拭きながら淡々と答えた。
「ありがたい話ですがね……。正直、こうしてお客さんに少しずつ飲んでもらう今のスタイルが気に入ってるんです。大量生産となると、どうしても目が届かなくなる部分が出てくる。味の妥協は絶対にしたくないんです。」
佐川は真剣な表情で青山を見つめたが、青山の目にはどこか迷いが見えた。
「…なるほど。でも、青山さんが今ここで作っているビールは、もっと多くの人に知ってもらうべきだと私は思うんです。」
佐川はそう言って静かにグラスを置いた。
青山は何も言わず、ただカウンター越しに佐川を見つめたままだった。
店内には、グラスの中でわずかに揺れるビールの泡が静かに弾けていた。
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佐川はグラスを手にしながら、ふと思い出したように問いかけた。
「ところで、もし仮に醸造所をやるとしたら、場所はどこを考えていますか?」
👿「青山がやりたい」みたいな話になってないか?
青山は軽く肩をすくめる。
「そんな話、現実味がないから考えたこともないですね。ただ……やるとしたら仙台以外は考えられませんね。」
「仙台?」
👿そりゃそうだろ!
「そうです。IPA本舗はここでやってますし、俺自身、この街が好きですから。」
佐川はその言葉に一瞬考え込む表情を見せた。
「青山さん、気持ちはわかりますよ。でもね、仙台じゃダメなんですよ。やるなら東京か首都圏じゃないと意味がない。」
「どうしてです?」
「まずマーケット規模が違います。それに物流、人材、資本……どれを取っても東京が圧倒的です。仙台でやるのは、正直厳しいと思います。」
青山は一瞬眉をひそめたが、すぐに落ち着いた口調で答えた。
「俺はビジネスをしたいわけじゃないんです。美味しいビールを作って、それを飲みたい人に提供する。それができるなら規模は関係ないんです。」
👿あれれ?青山、やりたいんじゃん
佐川はため息をついた。
「それじゃ、もったいないですよ。」
青山は無言でグラスを磨きながら、佐川の言葉を待つ。
「青山さん、地球ブリューイングのビールには、日本のビール市場を変える力があると思ってます。それくらい完成度が高い。」
佐川はグラスを置き、青山に向き直る。
「だからこそ、もっと多くの人に届けるべきなんです。そのためには、大きな規模で展開する必要がある。東京なら、その環境が整っているんです。」
青山は視線をカウンターに落としたまま、静かに答えた。
「でも、俺はこの街でしかやる気がないんです。」
「じゃあ、どうすればいいんですか?青山さんが本気でやる気を見せてくれるなら、俺はなんでもしますよ。」
👿だからさ〜、なんで青山がやる気を見せなきゃならないの?おかしいででょ!
佐川の強い言葉に、青山は少し驚いたように顔を上げた。
「……本当に、なんでもするんですか?」
「もちろんです。」
青山はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「仙台でやれる可能性があるなら、考えてもいい。でも、東京に行くつもりはありません。」
佐川は少し黙り込んだが、やがて口元にわずかな笑みを浮かべた。
「わかりました。仙台でやる方向で、どうにか可能性を探ってみます。ただ、少し時間をください。」
「それなら構いません。」
👿完全に話しが逆転してるぞ
青山の静かな答えに、佐川は頷き、席を立った。
「また近いうちに連絡しますよ。考えをまとめたら、もう一度会いましょう。」
「ええ。お待ちしてます。」
佐川が店を出ていくと、青山は深いため息をつき、カウンターの奥に手を伸ばしてグラスを取り出した。
「さて、どうしたもんかな……」
そう呟きながら、青山はグラスに残ったビールを少し口に含み、遠くを見つめた。
👿佐川、残して帰ったんかい💢
⭐️
佐川が店を出ていき、青山がぼんやりとグラスを見つめていたその時、ドアが静かに開いた。
「こんばんは。灯りがついてたので……」
声の主は裕子だった。少し暗い表情をしているのが気になり、青山は手にしていたグラスを置き、カウンター越しに声をかける。
「裕子さん、こんな時間にどうしました?」
「……ちょっとお話ししたくて。」
青山は頷きながら、カウンター席を指差した。
「座ってください。何か飲みますか?」
「ううん、大丈夫。今日はちょっと話をしたいだけなんです。」
裕子は小さな笑みを浮かべたが、その表情にはどこか寂しさがにじんでいた。
「どうかしましたか?」
青山が促すと、裕子は深く息をついてからゆっくり話し始めた。
「実は……夫が転勤になったんです。」
「転勤?それは突然ですね。」
「ええ。来月から東京に引っ越すことになりました。」
青山は少し驚いた表情を見せたが、すぐに言葉を選びながら聞いた。
「東京ですか。それは……おめでとうと言うべきなんですかね?」
裕子は苦笑いを浮かべた。
「どうなんでしょうね。夫のキャリアにはいいことなんだと思います。でも私、仙台が好きで、この街を離れるのがつらいんです。」
青山は黙って頷き、裕子の気持ちを汲み取ろうとしていた。
「それに……IPA本舗にももう来られなくなると思うと、なおさら寂しくて。」
「そんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいですよ。でも、きっとまたどこかで会えますよ。」
青山はそう言って、優しく微笑んだ。
裕子は少し目を伏せたまま、「本当にそうならいいんですけど」と小さな声でつぶやいた。
「引っ越しまでまだ少し時間がありますよね?それなら、それまでにここでたくさん楽しい時間を作りましょう。」
青山のその言葉に、裕子は少しだけ表情を明るくした。
「そうですね……それなら、あと何回か、ここに来させてください。」
「もちろんです。裕子さんがこの店の一員みたいなものですから。」
その言葉に、裕子は初めて少し大きな笑顔を見せた。そして、カウンターに手をついて静かに立ち上がると、「そろそろ帰りますね」と言って店を出て行った。
裕子の後ろ姿が見えなくなると、青山は一度大きく息をついた。そしてグラスをもう一度手に取ると、裕子の言葉を思い返しながらビールを一口、静かに飲み込んだ。
「東京か……いろいろ考えることが増えるな。」
👿ん?なんで? 何を考えるの???
青山のつぶやきが、静かな店内に小さく響いた。
【登場人物】
青山・・・IPA本舗店主
佐川誠・・・投資家
菅原裕子・・・常連客/スーパー店員
続きはまた今度